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福岡地方裁判所 昭和53年(行ウ)40号 判決 1981年4月28日

原告 有限会社新光タクシー

右代表者代表取締役 野上藤三郎

右訴訟代理人弁護士 山口定男

同 立川康彦

被告 福岡県地方労働委員会

右代表者会長 副島次郎

右指定代理人 進藤英輝

<ほか三名>

被告補助参加人 福岡地区合同労働組合

右代表者代表執行委員 筒井修

<ほか一名>

被告補助参加人両名訴訟代理人弁護士 有馬毅

主文

一  被告補助参加人福岡地区合同労働組合を申立人、原告を被申立人とする被告委員会昭和五二年(不)第二七号不当労働行為救済申立事件につき、被告が昭和五三年九月二二日付でなした別紙命令書記載の命令主文第一項及び第二項を取り消す。

二  訴訟費用中、補助参加により生じた費用は補助参加人らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  主文第一項と同旨

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告補助参加人福岡地区合同労組(以下「参加人組合」という。)は、原告を被申立人として、被告に対し、不当労働行為救済の申立てをしたところ、被告は、昭和五三年九月二二日付で主文掲記の別紙命令書記載の命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令書は同年一〇月一三日原告に送達された。

2  (本件命令の違法性)

本件命令は、事実を誤認し、法律上の判断を誤った結果に基づくものであるから違法である。

(一) 別紙命令書の「第一認定した事実」について

(1) 「1当事者」のうち、原告会社の部分は認めるが、その余の事実は知らない。

(2) 「2筒井修の採用について」の事実は認める。

(3) 「3解雇予告」について

ア 冒頭部分のうち、迎営業部長が運収については問題はないと言ったことは否認し、その余の事実は認める。

イ 「(1)欠勤について」のうち、被告補助参加人筒井修(以下「参加人筒井」という。)が原告会社の承認を得たうえで欠勤したとする点は否認し、病休以外の欠勤が組合用務によるとする点は知らない。その余の事実は認める。

ウ 「(2)遅刻について」のうち、早出の始業時刻が午前七時三〇分であること、参加人筒井が午前八時前後に出庫していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

エ 「(3)運収について」の事実は認める。

(4) 「4解雇予告前後における関係人らの言動」について

ア 同(1)のうち、昭和五二年五月五日に参加人組合が宣伝カーにより原告会社前の路上で参加人筒井の解雇に抗議する旨の放送を行ったこと、その抗議の後に迎営業部長が林病院を訪問したことは認めるが、その余の事実は知らない。

イ 同(2)のうち、迎営業部長が昭和五二年四月二八日に発言したとする内容は否認し、その余の事実は認める。

ウ 同(3)のうち、野上副社長が昭和五二年五月九日後の参加人筒井との自主折衝の際に「解雇の端緒」から「判断した。」と発言したことまでの事実は否認し、その余の事実は認める。

(二) 別紙命令書の「判断及び法律上の根拠」に対する反論

(1) 原告会社の解雇理由について

原告会社が参加人筒井に対して解雇予告したのは次の理由による。第一に、参加人筒井にはその試用期間中に合計八日間の欠勤があったことである。原告会社はそのタクシー業務の性格上欠勤について厳格に取り扱って来ているもので、同参加人は右欠勤のほかに、始業時間ぎりぎりの時間に欠勤の申出をなし、原告会社から命ぜられて遅刻して出勤した事実もある。第二に、同参加人は、試用期間中の出勤日のうちその半数を超える日数について遅刻したことである。第三に、同参加人は運収面においても良好ではなく、しかも業務に慣れることによって向上すべき水揚が逆に低下する傾向にあったことである。これらの三つの理由から同参加人の勤務成績、勤務態度とも不良との評定に至ったものである。

従って、原告会社が参加人筒井に対し解雇予告をし、本採用しなかったことについて裁量権の逸脱はない。然るに、これに対する本件命令の判断は、次の理由により相当でない。

ア 本件命令は、欠勤について、試用期間中の他の者と比較し、また試採用中の者には年次有給休暇がない等の事情を考慮したうえ、他の従業員に比べて特に不良とは認め難いと判断している。原告会社においては、欠勤の承認申請は、原則として文書によるべきものとされ、例外的に急病等文書による届出の困難な場合に限り口頭による届出も認められているにすぎない。参加人筒井の場合は、一方的な電話連絡による欠勤の通告であって、原告会社が承認した欠勤ではない。しかも、欠勤が債務不履行として勤務成績不良の評価を受けることは当然であり、年次有給休暇がないことをもって欠勤を許容すべしとする命令の趣旨は独自のものであり、一般に認容されるべきものではない。また、本件命令が比較する別紙命令書記載第一表の三名は、本採用されなかった者で三か月で解雇予告を受けたところ、本人の希望によって試用期間を延長されたものである。参加人筒井については、その延長の申出もなかったから、これらとの比較において本採用すべしとする理由は全くない。しかも、タクシー業では、従業員の欠勤により営業車を休止させることは直接収入の減少に結びつき、その損失は他の一般的職種と異なり、これを後日回復することは不可能である。従って、従業員を本採用するに当って、原告会社としては、従前から欠勤を重視して来たところであり、欠勤を評価するのにその理由を問うところではなく、他の従業員の本採用に当っても欠勤の多い者について採用した事例はない。

イ 本件命令は、遅刻について、午前八時ころ出庫していた参加人筒井が原告会社からその点について注意を受けなかったと認定しているが、始業点呼に関しては、正規には始業時刻に点呼し、仕業点検を終えて、午前七時四五分ころまでには出庫するという形態であり、その他、「流れ点呼」といわれる形態の点呼も行われていたが、これは早出勤務の乗務員が始業時刻の午前七時三〇分前に仕業点検を終えて出庫する場合または午前七時三〇分の始業時刻に遅刻した者について行われていたものである。参加人筒井の場合は、遅刻者に対する流れ点呼の場合に該当し、原告会社は同参加人の遅刻について注意もしていた。就業規則所定の勤務時間に対する不遵守によって、勤務態度不良の評価を受けるのは当然である。

ウ 本件命令は、運収について、参加人筒井の運収の順位が特に低位ではなく、しかも四月中旬の時点で四月中の順位は確定しない旨判断しているが、原告会社は、日々集計表の作成をなして運収の状況を把握しているので月の中途でも運収の比較が可能であった。本件命令の右判断は、独善的見解にすぎない。

(2) 不当労働行為について

ア 本件命令は、参加人筒井が昭和五一年九月に結成された参加人組合の代表執行委員として、もっぱら福岡県内の中小企業において活発な組合活動に従事してきたことを指摘しているが、参加人筒井は、原告会社の管理職員、同僚及び原告会社労組関係者にも、右組合活動などを内密にしていたものであって、また原告会社で組合活動を行うことなど一切していなかったので、原告会社は同参加人の右組合活動を全く知らなかった。原告会社としては、同参加人が解雇予告を受けた後の昭和五二年五月五日に参加人組合が原告会社に押しかけて来たことから、始めて、参加人筒井が参加人組合員であることを知ったにすぎない。

イ 本件命令は、参加人筒井が解雇予告通告以前から原告会社と三〇〇メートル位の距離にある林病院において参加人組合員の解雇撤回闘争を活発に行ってきていたが、林病院が参加人組合員らの動向を調査しその情報を当該組合員らの職場に通報していた節がうかがわれると指摘している。しかし、原告会社と林病院とは直線距離で約三〇〇メートルあるとしても、同病院が福岡市博多区千代一丁目二〇番一八号に所在して東公園の南側に位置するのに対し、原告会社は同公園の西側に位置するという全く方角を異にした別個の街筋にあるから、近所という地理的関係にはなく、原告会社はもちろん、原告会社の全自交系労組の役員ですら林病院の争議事件や同病院に対する参加人筒井の活動を知らなかった。しかも、本件命令では、林病院における右参加人の闘争内容が明らかではなく、同参加人の行動が正当な組合活動に属するものか否かについて全く触れるところがない(その闘争内容や活動は、暴行、脅迫、業務妨害の違法行為を伴うものであったと推測しうる。)。また、林病院が原告会社に「通報した」という認定ではなくて、「通報していた節がうかがわれる」という曖昧な認定ですませ、その根拠も薄弱である。

ウ 本件命令は、原告会社の迎営業部長が得意先である林病院を訪問して参加人筒井に関する事情を聴取し、同参加人の写真を見せてもらったりしていると指摘するが、右訪問の時期は、解雇予告後のことである。本件命令が参加人筒井を参加人組合員であると知って解雇予告をしたとするには、右事情聴取等がその解雇予告の前であるという認定が前提となるべきところ、かかる認定ができない以上、本件命令において、これを根拠としてあげえないはずである。

エ 本件命令は、原告会社の迎営業部長が昭和五二年四月二八日に参加人筒井に対してなした「マルクス・レーニン主義で団体生活が送れるか。文句があれば竹槍で突っこんでくればよい。」との発言などの言動を指摘しているが、右認定の根拠は参加人筒井の供述を措いて外になく、これと迎営業部長の供述とを対比すれば右発言があったとの同参加人の供述には信用性がなく、仮に右発言があったとしても、始業点呼の際のやりとりの中から出て来た単なる言葉のあやである。本件命令は、その評価を誤って認定している。

オ 本件命令は、被告委員会への斡旋申請後の自主折衝において原告会社の野上副社長が参加人筒井に対してなした「筒井の組合活動については知っている。千早病院、香椎外科、林病院等病院関係が多いですね。」等の発言を指摘しているが、仮に右発言があったとしても、右斡旋申請後の発言により、原告会社が解雇予告当時において参加人筒井の組合活動を知っていたとすることはできない。

カ 本件命令は、原告会社では、遅くとも参加人筒井に対する解雇予告の禀議をなした昭和五二年四月中旬ころまでの時点において、同参加人が参加人組合の代表執行委員として活発な組合活動をしている事実を第三者を通じて知ったものと指摘しているが、すでに述べた反論のように、原告会社は右事実を知らなかった。もしそうではなくて、右指摘どおり林病院を通じて知っていたのであれば、もっと早期に乗務拒否等をしていたはずであるのに、却って本件命令も認定しているように、迎営業部長は、同年五月一七日になって始めて参加人筒井に対し「得意先から、筒井を乗務させるなら新光タクシーの配車を断るとの申入れを受けた。」旨の発言をして、始めて同人の乗務を拒否した事実がある。このことは、本件命令の前記指摘が誤っていることを意味する。

(三) 陳謝文の掲示命令について

本件命令は、原告会社に対し、別紙命令書記載主文第二項の陳謝文の掲示を命じている。しかし、謝罪という行為は、倫理的な判断、感情ないし意思の発露であって、本質的には外部からの強制に適しないものであり、社会的には謝罪者本人にとって屈辱的な意味を有するところ、労働委員会が救済命令で謝罪文の手交や掲示を命ずることは、使用者側に対し、労働委員会と同意見であることないしは不当労働行為を自認し、謝罪の意思を社会的に告白し表明するように強制することになる。これは、不当労働行為の成否について、労働委員会の判断に従わねばならないことと質的な差異がある。右のような救済命令は、憲法一九条及び一三条に違反する。

また、陳謝文の掲示が労働者側の名誉を回復させる手段として用いるという趣旨であるとすれば、民法七二三条所定の名誉回復処分として司法機関の民事訴訟手続でなすべきことで、労働委員会による救済命令ではなしえないことである。もともと、文書掲示命令(いわゆるポスト・ノーティス)の内容は、組合員に対し、命令についての事実と会社の処置とを報告するもので足りる。それ以上に謝罪を求めるものであれば、屈辱を使用者側に与えるものであって、労働者のうっ憤を晴らす報復以外の何ものでもなく、救済命令の限度を超えることは明らかである。

従って、原告会社に謝罪を求めている本件掲示命令は違法である。

3  よって、原告は、本件命令の主文第一項及び第二項の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実は認める。但し、別紙命令書が原告会社に交付されたのは昭和五三年一〇月一四日である。

2  同2冒頭の主張は争う。

3  本件命令は、労働組合法二七条及び労働委員会規則四三条に基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は別紙命令書に記載のとおりであり、被告の行った事実認定及び法律上の判断は正当であり何らの違法もない。

三  補助参加人両名の主張

補助参加人両名が、原告会社の本件命令取消請求を理由がないとする事実上及び法律上の主張は、次のとおりである。

1  (参加人筒井、同組合の活動歴)

(一) 参加人組合は、昭和五一年九月一二日結成され、参加人筒井の本件解雇予告時までにも、林病院の不当解雇撤回闘争、大同印刷株式会社における継続春闘、今泉興産株式会社における企業閉鎖反対闘争、香椎外科及び千早病院職員保育所などにおける労働条件の改善の活動を行っていたにとどまらず、志岐自動車(飯塚市所在)不当解雇撤回闘争や、八木病院労組、若草学園労組(田川市所在)及び田川印刷センター労組(田川市所在)への支援活動をするなど地域における中小零細企業労働者の地位や労働条件の改善等のために幅広い活動を展開しており、反面では、地域の経営者の嫌悪の対象となっていた。

(二) 参加人筒井は、参加人組合の結成当初から組合の代表執行委員を勤め、被告委員会における林病院、若草学園、田川印刷センター、八木厚生会病院などの救済手続において代理人になるなどして、活発な組合活動を展開してきた。

2  (原告会社の企業活動及び不当労働行為の経歴)

(一) 原告会社は、いわゆるグリーンベルト系タクシー会社(飯塚市に三社、福岡市に四社)の一つであり、参加人組合の他に、全自交労組系列の新光タクシー労働組合と同盟系の新光タクシー新労働組合(以下「新労組」という。)との二つの組合を抱えている。

(二) 原告会社は、組合活動を極端に嫌悪し、次のような不当労働行為を重ねるなど、労働者の労働基本権を全く認めようとしない姿勢がみられる。

(1) 新光タクシー労働組合に対して不当労働行為を重ね、被告委員会昭和四七年(不)第五号事件(同労組と新労組との一時金差別問題)、昭和五〇年(不)第六〇号事件(一時金差別と全自交系労組の委員長に対する配車差別)、昭和五二年(不)第二四号事件(参加人筒井を会社構内に入れたことを理由に同労組の委員長久我に対する懲戒処分)、昭和五三年(不)第三一号事件(同労組員に対する一時金差別)などの不当労働行為救済申立事件を引き起こし、本件解雇予告の直前である昭和五二年二月には、昭和五〇年(不)第六〇号事件に関する救済命令が原告会社に交付されたばかりであった。このことは、野上副社長自身が参加人筒井との自主交渉の過程で「全自交つぶしには、全力をつくしてきた。」と発言していることからも明らかである。

(2) 原告会社は、参加人筒井に対し、同参加人が昭和五二年四月二八日に本件解雇予告に対する抗議として座り込みをしたのに対して二日間の出勤停止処分(第一回目)をなし、更に同参加人が闘争宣言文(合同労組発第七四号)、争議行為開始通知書(同第七六号)の文書を手交するために弁護士同道のうえ、迎部長に面会を求めた行為に対して、同部長が右文書の受領書まで作成しているのであるから正当な行動であったにもかかわらず、同年五月八日に七日間の出勤停止処分(第二回目)をかけた。参加人組合は、右処分を本件の解雇予告とともに被告委員会に救済を申し立てたところ、原告会社は、第一回目の処分については同年六月二七日に、第二回目の処分については昭和五三年六月一九日にいずれも右審問結審前に撒回した。

3  (原告会社の知情について)

原告会社は、本件解雇予告当時、参加人筒井が参加人組合の組合員であることを知っていた。

(一) (林病院からの通報)

参加人組合は、林病院において活発な組合活動をしていたが、これに対して林病院は、山田事務長を中心にして、興信所を使って参加人組合員の動向を調査し、当該組合員等の職場に通報したり、家族に対する嫌がらせ等を行ったりしていた。参加人筒井は、昭和五二年三月三〇日午前一〇時からの林病院解雇事件の控訴審の公判を傍聴していたが、その場に山田事務長ら林病院職員も来ていた。同年四月初めの木曜日ころ、渡辺ひろふみと名のる興信所の者が参加人組合事務所を訪ねてきて、参加人筒井が新光タクシーのネーム入り制服を着ていたのを見て帰った。原告会社と林病院とは約三〇〇メートルの距離にあって、原告会社の迎営業部長が林病院を訪れて山田事務長から同参加人の写真等を見せてもらっている。これらの事実からすれば、林病院では、参加人組合代表執行委員である参加人筒井についても、その職場を調査のうえ、原告会社の管理職にその旨を通報していたと考えるのが自然である。

(二) (警察からの通報)

福岡県警察は、昭和四九年六月に行われた林病院の不当解雇を撤回させる会の結成以来、昭和五一年九月一二日に参加人組合へと改編される過程で、林病院、大同印刷、千早病院での闘争に対して不当な介入、弾圧を続けるとともに、右活動の中心的役割を担ってきた参加人筒井に対する日常的情報収集活動を続けてきた。警察は、昭和五一年一一月一二日大同印刷争議の支援者の辻田を傷害罪として逮捕したが、裁判で傷害罪の成立が否定された。昭和五三年八月から九月にかけて、博多署の百田警部補は、参加人組合員の名簿や要求書を白岩石油株式会社から入手したり、同年八月二五日当時参加人組合員であった同社比恵スタンド所長牧山に面会を求め、参加人筒井のことをあれこれ告げた。これらの事実からすれば、警察は、本件解雇予告当時、参加人筒井をマークして情報収集を行っており、原告会社にその旨通報していたことは十分に考えられる。

(三) (原告会社側の言動)

迎営業部長らは、昭和五二年四月二八日ころ、全自交系労組書記長江上安幸に対して「あれ達は飛行機が落ちたときの九大の過激派だ。そういう人はうちの会社には置いておけない。」と発言したり、同月二八日、参加人筒井に対して「マルクス・レーニン主義で団体生活が送れるか。」「文句があるならヘルメットかぶって竹槍でも持って突っ込んでくればいいたい。」などと発言した。野上副社長は、同年五月九日以後の参加人筒井との自主交渉の過程で「解雇の発端に関しては、とにかく情報は飯塚の社長の所に先に入って飯塚の社長が連絡した。」「その後、福岡の管理職の間で問題になって、最終的に自分が解雇まで含めて判断した。」と言明した。これに対して、緒方営業課長は同年五月一〇日に参加人筒井に対して「出勤停止のことは聞いてるけれども解雇に関しては聞いとらん。解雇の問題は全部上の者に聞いてくれ。」と発言し、同日被告委員会に出頭した営業課員伊藤は、「私は、解雇の問題に関しては全くかかわってない。」と発言した。これらを考慮すれば、原告会社では参加人筒井の勤務態度を解雇理由にしながら、現場の管理者以下営業課員が解雇に関っていなく、原告会社側で、すでに本件解雇予告以前に参加人筒井が参加人組合員であることを知って、その為に解雇をしようとしたといえる。

(四) (解雇の理由の変遷)

原告会社は、本件解雇の理由として、当初の解雇予告の段階では欠勤のみであったが、夕方になると遅刻の多さが加わった。ところが、本件救済手続の答弁書では運収がつけ加えられた。

4  (結論)

以上の事実に、本件解雇理由の不当性を総合すれば、解雇予告の真の理由は、参加人筒井が参加人組合員であることを知り、その組合活動を恐れて、参加人筒井を排除する目的で解雇理由を探し、解雇を正当化するために、試用期間の開始日を昭和五二年二月一日であると捏造し、その期間満了を口実にしたものである。原告会社の右行為が、労働組合法七条一号に違反する不当労働行為に該当するのは明らかである。

四  参加人両名の主張に対する原告会社の認否

参加人両名の主張のうち、被告が別紙命令書の「第一認定した事実」と同一の部分は、請求原因事実に対する認否と同一であり、その余の事実及び主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、別紙命令書の原告会社への交付年月日の点を除き、原被告間に争いがない。

二  本件命令について、別紙命令書「第一認定した事実」のうち、次の事実は、当事者間に争いがない。

1  「1当事者」のうち原告会社関係の事実

2  「2筒井修の採用について」の事実

3  「3解雇予告」について

(一)  冒頭部分のうち迎営業部長が運収については問題はないと言ったことを除くその余の事実

(二)  「(1)欠勤について」のうち参加人筒井が原告会社の承認を得たうえで欠勤したとの事実、病休以外の欠勤が組合用務によるとの事実を除くその余の事実

(三)  「(2)遅刻について」の早出の始業時刻が午前七時三〇分であること、参加人筒井が午前八時前後に出庫していた事実

(四)  「(3)運収について」の事実

4  「4解雇予告前後における関係人らの言動」について

(一)  同(1)の昭和五五年五月五日に参加人組合が宣伝カーにより原告会社前の路上で参加人筒井の解雇に抗議する旨の放送を行った事実、その抗議の後に迎営業部長が林病院を訪問した事実

(二)  同(2)のうち迎営業部長が昭和五二年四月二八日に発言したとする内容を除くその余の事実

(三)  同(3)のうち野上副社長が昭和五二年五月九日後の参加人筒井との自主折衝の際に「解雇の端緒」から「判断した。」と発言したことまでを除くその余の事実

三  争いのない右事実、《証拠省略》を総合すると、別紙命令書「第一認定した事実」と同一の事実(但し、「4解雇予告前後における関係人の言動」のうち、(1)の三行目の「従事し」の次に「中でも、被申立会社から三〇〇メートル程離れた距離にある林病院において、申立組合員の解雇撤回闘争には、被申立会社に就労する以前から携わり、就労後も引き続き参加し」を加え、六行目の末尾に「また正式に公然化したのは、同月八日正午ころ、筒井が有馬弁護士と同道し、宣伝カーや組合員らの支援を受けて、被申立会社に来て、迎営業部長に申立組合名による闘争宣言文、争議行為開始通告書、団交要求書を手渡した時であった。」を加え、七行目冒頭から一一行目の「明らかではないが、」までを「そこで、迎営業部長は、申立組合の活動を聞き知って、早速、」と改め、(2)の四行目の「その際」から六行目の「している。」までを削除し、(3)の六行目の「解雇の端緒は」から八行目の「判断した。」までを削除する。)を認めることができる。

四  被告及び補助参加人両名は、参加人筒井に対する解雇予告は同参加人が参加人組合員であることを知り、これを嫌悪してなした不当労働行為であると主張するのに対し、原告会社は、解雇予告当時、参加人筒井が参加人組合員であることを知らなかった旨主張する。本件では、前記認定のように参加人筒井自身が右組合員であることを原告会社内において秘匿していたのであるから、労働組合法七条一号の不当労働行為が成立するには、まず原告会社側において参加人筒井の右組合員たる事実を知っていたことが立証されなければならない。

原告会社において解雇予告前に参加人筒井が参加人組合員であることを知っていたとの事実を認めるに足りる直接の証拠はない。右認定の「解雇予告前後における関係人らの言動」の事実を総合しても、これを推認することは困難である。むしろ、参加人筒井は、原告会社に対して、参加人組合員であることを秘匿していただけでなく、右各証拠によると、原告会社内において組合活動はもとより、それらしきことすらしていなかったことが認められる位で、原告会社内での言動からこれを知りうる余地はなかったといわなければならない。

1  《証拠省略》の中には、迎営業部長が別紙命令書「第一認定した事実」4(2)のマルクス・レーニン主義云々の発言をしたとの部分がある。しかし、《証拠省略》によれば、迎営業部長は、解雇予告の翌日である昭和五二年四月二八日午前七時三〇分から行われた始業点呼の際、乗務員全員が起立しているのに、参加人筒井ひとりが坐ったままでいたことに対し、起立するよう促したところ、「人を馘首にしておいて何を言いよるか。」、「就業規則のどこに起立するようにあるか。」などと言われ、「皆が起立して点呼を受けている。団体生活をする以上、そうすべきだ。」と言い返したりしたことが認められるので、仮に前記のような発言があったとしても、このようなやりとりの中でのことであったから、このことから原告会社が参加人筒井の参加人組合員であることを知っていたと推測する事情と考えるのは困難である。

2  《証拠省略》中には、原告会社の緒方昭義営業課長が昭和五二年四月二八日ころ参加人筒井を支援していた全自交系労組の江上書記長らを会社事務室に呼んで「あれ達は、飛行機が落ちたときの九大の過激派だ。そういう人はうちの会社には置いておけない。」と言ったとか、迎営業部長や緒方課長が春闘における全自交系労組との団交の席上で、筒井が他の組合に加入している旨を話したとかの部分がある。更に、《証拠省略》には、原告会社の従業員が参加人筒井に対して、解雇予告の原因が参加人組合員であると言ったとの記載がある。

しかし、右証拠によるも、右発言の時期が必ずしも明瞭でなく、更に、《証拠省略》によれば、原告会社内の全自交系労組が参加人筒井が参加人組合員であることを知ったのは解雇予告後のことであって、同参加人の問題にかかわり始めたのも解雇予告があってからのことであり、原告会社の従業員もその後始めて知ったにすぎず、根拠のあるものではないこと、むしろ、同月二七日には、江上らは同参加人を右労組員と偽って解雇予告の撤回を申し入れたため、原告会社は当初そのとおり受け取っていたことが窺われる位であるから、これをそのまま採用しがたく、迎や緒方の発言がそのとおりであったとしても、その前段の発言はそれ自体不当労働行為と直接結びつくものでないうえ、解雇予告後知ったうえでの発言というほかなく、これをもって被告主張事実を確認することはできない。

3  《証拠省略》中には、参加人組合員やその同調者のほか、参加人筒井に対して、林病院の職員や同病院から依頼されたとしか考えられない興信所員らしき者、あるいは警察官までが身辺を調査したかの如き部分があり、これを前提にして同病院から原告会社へ参加人筒井の言動が通報されたのではないかとの推測をするが、仮にそのような事情があったとしても、同参加人らがこれらのことから疑心を抱くことはそれなりに理解しうる余地があるとはいえ、これから不当労働行為を断定するには、いささか飛躍があるといわざるをえない。

4  《証拠省略》によれば、原告会社が参加人筒井や参加人組合員らの立入りを禁止する掲示をしたこと、そして、これが林病院のそれと極めて酷似していることが認められるけれども、同時に、この掲示がなされたのは解雇予告後かなり経ってからのことであることも認められるので、このことから原告会社が解雇予告以前に林病院から情報を受けていたことの根拠とすることはできない。

五  前記認定の別紙命令書「第一認定した事実」の「2筒井修の採用について」及び「3解雇予告」の事実に基づいて考えるとき、同命令書「第二判断及び法律上の根拠」1、2(1)のとおり、参加人筒井に対する解雇理由は、根拠が薄弱であり、合理性が認められないと判断せざるをえないので、解雇の動機、意図が他に隠されているのではないかとの疑問を払拭しえないけれども、これらの事情を併せ考慮してみても、なお前示のような解雇予告前後における関係人の言動をもって、原告会社の不当労働行為意思を推認するには十分でないというほかない。他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

六  してみれば、本件命令は取り消すのが相当であり、原告の請求は、理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富田郁郎 裁判官 川本隆 高橋隆)

<以下省略>

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